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カレー支援その後

 2011-05-09
ゴールでウィークは娘のたっての希望で、古都へ行ってきました。

いつも私は離陸から着陸まで、窓におでおこをくっつけ、
飽きずにずーっと下を見ていますが、

今回は三陸海岸~福島までの海岸線が、
真っ茶色でまるで死後の世界のように見えました。

もしあの地震がなければ、
今頃は整備された田んぼには水が張られそれがキラキラ反射して光り

真っ青な海と松林の緑、山桜のコントラストが美しい、命みなぎる眩しい季節のはずでした。

機内ではフライトアテンダントが高価なカバンや化粧品を販売し、

お腹のすいた私は4個目のおにぎりを食べていましたが・・。

眼下に広がるあの泥に飲み込まれた街で、
人々がどんな思いで毎日過ごしているのかと考えると

目から涙が溢れ胸の前で、ただただ手を合わせ祈りました。

旅行中の5月6日

いよいよ出発です、というブログのあと、麻実さんから

「緊張しています。頑張ってきます。」とメールを頂きました。

「実家で下ごしらえ中です。たくさんのおいしそうな野菜をどうもありがとう!
とも書かれていました。

変わり果てた故郷で、混みあげる複雑な思い。

活動を終え、報告を書いてくださいました

ホロホロ以外にも、全国で麻実さんを慕って支援した方がたくさん居たので、
そのお一人お一人に返信するだけでも大変だったと思います。

私より年上ですが、麻実さんのバイタリティー、
暖かいお人柄と、心のこもった言葉には本当に頭が下がりますm(_ _)m

以下に全文掲載します。長文です。

佐々さんは、WBの元メンバーで東北出身、美声のカレー大王です。
*この時の様子をDVDにして、教室宛てに送ってくださるそうです。又ご報告します。

5月9日(月)晴!初夏の陽気で風が爽やか。得した気持の月曜朝でございます。

皆さんから熱い応援を頂いたカレー炊き出し慰問を7日(土)に無事に終えました。震災直後から願っていたこの炊き出しを実現できたのは、皆さんの応援があったからこそ!!本当に有り難うございました。お礼かたがた様子を報告させて頂きます。

6日早朝、東京を出発。新幹線で仙台へ向かった。窓からの景色は殆ど以前と変わりが無く長閑な田園風景が広がるばかり。たまに崩れかけた屋根の瓦をビニール等でカバーしている家を見るが、それ以外に震災はを思わせる様子は全く無い!

仙台から石巻までは高速バスで移動、これも山間を走るため震災の被害を目にする事は皆無。妙な感覚だ。私の降りたバス停はEオンの大型ショッピングセンターの中にあり、買い物客で溢れたその様子も全~~くのいつもと変わらぬ日常。一体何処が被災地???

迎えに来てくれた姉に被害の大きかった地区に連れて行くよう頼み市内を車で廻ると、、風景が一変、そこに突然、本当に突然と言う感じで、瓦礫の山が現れ廃墟と化した集落が現れた。そのギャップに愕然、、あの平和な日常の数百メートル先にこの瓦礫の山が、、、。

更にしばらく行くと一見田んぼか畑?と見紛う広い空き地が、、。小山の様な畝が
幾つもありその上に花が備えてある。姉が「あれは遺体を埋葬してるの。元々は子供のスポーツグラウンドだったんだよ、ここ、、、」と呟いた。その時も数人の僧侶が太鼓を叩き葬儀なのか?祈りを上げており、その様子余りに殺伐とした風景に絶句。あそこが、、、お墓、、、。道路脇のただの広野がお墓。

家に着き玄関に入ると、そこには皆さんから送って頂いた物資の山が!連絡を頂いた以外にも何人かの方が物資を送って下さっており、そこはちょっとした物資倉庫状態でありました。母がテンパるはずだわねえ、あは!

それでも足りない物資を調達にホームセンターへ出かけ、買い物を済ませて帰宅、夕食後は野菜の下準備をする。タマネギをみじん切りと四つ切りにし、ニンジン数十本の皮を剥いて切る。ジャガイモは色が変わるので洗うだけにしてビニール袋に入れ準備完了。真っ黒になった指先を見てたら炊き出しへの気合が入った。何せ単純な人だからねえ!

翌朝、まずは佐々を前谷地という駅でピックアップ。その風景が自分の田舎とそっくり!で驚いたと佐々。東北の田舎の風景って何処も余り変わらないんだね。

家に戻ると姉達が既に物資を車に積み込んで出発の準備をしていた。物資が多かったので果たして全部積み込めるか心配したのだが、問題なし。積み込み完了しイザ出発!炊き出し隊メンバーは私、佐々、姉、兄嫁、姉の義姉、そして姉の娘の総勢6人。2台の車に乗り込んで慰問先、荻浜中学に向かう。

最初の内は高台を走るため、そこに広がる風景はまるで震災を感じさせないごくごく普通~の平和な住宅街だった。今回のこの地震は震度こそ過去最大級だったが横揺れだったせいか?建物損壊等の被害は殆ど全くと言って良い程受けておらず一見すると被災地には見えない。平穏な暮らしがそこにはあった。

それが坂を下り海沿いの国道に入って一転!石巻港から近い門脇地区、南浜町は跡形も無く消滅、延々と続く瓦礫の山と化してしまった。後ろを見上げると高台の平和な風景があり、そのギャップの違和感?と言うのか、、衝撃の凄さは、到底私の稚拙な文章では表現できない。ぐるりを見回し、どこまで見ても、、瓦礫の山。B29の爆撃を受けた東京大空襲の跡がこんな感じだったのだろうか、、とにかく胸が苦しくなって自然と涙が出て来る。神様、これは酷過ぎます。

そのルートで南浜町へ来たのが初めてだった姉達もそのギャップの凄さに衝撃を受け、車を止めると「撮影するならここでしたら」とビデオを渡した。車を降りビデオを回すのだが、涙が溢れて声が震える。「これは酷い、、酷いよ~」。

車に戻り走り出すが、そこからは延々ず~~~~っとその景色が続く。逆さまにひっくり返った車やトラックも未だにそのままの状態で残されているし、津波の後の火事で真っ黒に焼けた小学校もそのまま、、、。痛々しくて正視できない。

国道の右に海が広がるのだが、左を見れば壊滅した住宅地で何とも言えない複雑な気持になった。そして海からのその距離の近さに津波発生時、住民の皆さんがどれ程恐ろしかった事かと、、、想像するだけで恐ろしくなった。あれではひとたまりも無い。

荻浜までの道のりは、、40分程だったか、、荻浜に近づくとそこに広がる海が本当に美しくそれがどうにも切ない。こんな美しい海が、、と又泣ける。

間もなく避難所の荻浜中学校に到着し、まずは食事と生活全般担当部長、江刺さんにご挨拶をした。この江刺さんがまあ、元気!いかにも浜のオバちゃん、という明るくて人なつこい人で緊張が一気に解けた。聞けばこれまで全くだたの一度も炊き出しをしてもらっていないそうな。震災直後からずっと自分達でやって来たそうで市の中心部から離れた避難所は本当に放っておかれているのだと知った。

ところでこの江刺さん、後から聞いたら御年70歳のおばあちゃん!震災時ご本人は仙台に遊びに行った帰りだったため、何一つ持ち出せず一切合切失ってしまった。しかもこれが初めてではなく50年程前?のチリ地震津波の時にも家を流されたのだそう。それでもとにかく元気で明るく皆を引っ張るその様子にただただ感動。

早速カレー作りの作業を開始した。ガスと電気はどうにか復旧していたものの水道は未だ。給水タンクの水を使って調理から洗い物までしなければいけない。私達はたった一度の炊き出しだが、あれを毎日朝昼晩続けるとなったらそれは大変だと思う。食事を作る被災者の皆さんの苦労はいかばかりか。学校が始まった今、子供達を送り出すために、70のお婆ちゃんが毎朝4時に起きて食事の支度をしているという。夕食の支度は昼前に始めるらしく、一日中大変だと思う。

更にお洗濯もしなければならず、3台寄付されたか?洗濯機を朝から晩まで回し続けるのだそう。何せ水が復旧していないのだから、チョロチョロと水を組み入れてはお洗濯をするわけで、その大変さ、想像に余り在る。

話を炊き出しに戻し~~、じゃがいもがたっくさん届いていたので、トリの唐揚げ
以外にポテトフライも作る事にした。子供達、好きでしょう、ポテトフライ!コンロ4口をフル回転させて、カレー4鍋、フライドポテトにチキン10キロ分の唐揚げ
を作った。カレーもポテトも唐揚げも、皆さんの愛情が籠ってますから、どんだけ美味しかったか!

全部出来上がったところで、子供達とお婆ちゃん達数人に空いている教室にお集り頂き、食事前の一運動?!ABCダンスとカレーダンスを一緒に踊って頂いた。本当はもっとたくさんの子供達に参加して欲しかったのだが、皆、シャイ!教室の外から中の様子を覗く子供達やおじいちゃん、お婆ちゃん、お母さん達はいるのだがなかなか一緒に踊ってはくれないの。そりゃそうよねえ、、あんた達何もの?って感じだったでしょうから、、あはは。

それでも江刺さんを含む数人のお婆ちゃん達がにこにこ笑顔でダンスを踊ってくれてその様子にこちらが励まされたねえ。お婆ちゃん達、あんな風に音楽に合わせて身体を動かしたのは震災以来初めてに近かったのではないかと思うのです。その様子を見守る人達にも笑顔が見られて、正直ほっとしました。

お給仕はいつも通りに皆さんにして頂き私達はその様子を見てすぐに後片付けに入りました。カレーの鍋をかき混ぜながら、あるお母さんが「肉が一杯入ってる~」と思わず呟き、美味しい美味しいとお替わりして食べてくれる皆さんに私達はしみじ~み嬉しくなりました。お腹が一杯になってもカレーだけお替わりする男の子もいて感激。やって良かった!

片付けを終えて帰る前に江刺さんに挨拶を。「江刺さん、きっと復興しますよ。絶対にもう一度復活させて下さいね」と言うと「若い人達はもうここに住みたくない、津波の被害を受けない地域に引っ越す。仕事にはここまで通うと言う人も多いけど、年寄りは皆、ここを離れたく無い。ここに残りたいと言ってるからねえ、私達で協力し合って生きて行く事も考えたりしてます。仮設住宅についてもまだ仮設のカの字も話が出ていないし、一体いつここを出られるのか分からないけど、必ず復活させるよ~~!大丈夫、絶対やりますよ!」と言うてガハハと笑った。私も涙をこらえて笑顔でお別れをし荻浜を後にしました。

もっとあれこれ書きたいんだけど、、余りにも長い日記になってしまったのでひとまずここまでにします。あの変わり果てた石巻が元に戻るには途方も無く長い時間ともの凄いエネルギーを必要とすると思うのです。私も佐々も今回のこのご縁を大切にし又できたら炊き出し慰問に行きたいと思っています。

あの被災状況の凄まじさは実際に見ない事には到底分からないと思います。想像を遥かに超えた凄さなんです。今回それをちゃんと自分の目で確かめられて良かったと思っています。石巻の出身なのにあれを知らないでは済まされない、、あの瓦礫の山から必ずや新しい街を再生する、そう信じて今日も石巻への思いを強くしています。必ず復興する、、そう信じて、天国に召された津波の被害者の方達を祈ります。合掌

転載以上

帰りの飛行機では、眼下に一面の雲海がもこもこ、
右に沈もうとする巨大で真っ赤な太陽。左には富士山

上に目線を移すと、青みがかった空に細く輝く三日月が美しく見えました。

被災された方が、穏やかな心で美しいものを美しいと思える日が来ます様に。
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